Monthly Archives: 12月 2017

カルトとマインドコントロール

とても納得できたので、こちらより引用しました。
● 聖書を使うカルト普通のキリスト教とキリスト教系のカルト、あるいはハッキリとキリスト教とは言わなくても聖書を使うカルト、これらの違いについては、自分とは違う信仰をすぐに「異端」と呼ぶことはなくても、信仰者でない人にも納得してもらえる基準を、ある程度において提示することは出来るでしょう。
その一つとしてはカルトと呼ばざるをえない宗教は、「イエス・キリストだけで救いが十分だと言わない」ということ、
あるいは「イエス・キリストにおいて示された最終的な啓示は、聖書に記録されているだけでは十分だと言わない」ことです。
カルトと呼ばれる宗教団体は、イエス・キリスト以外に自分たちの宗派の教祖に新しい啓示があったと言います。
また、団体独自が発行する教本や組織の本を通さなければ、聖書を理解できないとして、聖書を学ぶ際には必ず、それらの本を通して学ぶように言われます。
結果、聖書が学ぶべき主体ではなく、その団体の主張を支持、補足するための辞書代わりに、聖書が使われるようにすり替えられてしまいます。
この点が全てのキリスト教系カルト、バイブル・カルトに共通している事柄です。
例えば、統一協会は文鮮明に啓示が新しく下った事が「原理講論」に書いてあると主張し、モルモン教はスミスが翻訳機で新しい神の啓示を解いたと述べ、エホバの証人では神がラッセルに世の終わりについて新しい啓示を与えたと言ったり、組織から離れてしまえば真理を学び続ける事が出来ないと言ったりします。つまり、いずれもイエス・キリストだけでは十分でないと言うのです。
しかしパウロ自身は、「実際、わたしたちはあなた方がよく知っていること、または悟りうること以外には、何もあなた方に書いていないからです。またそれは、終わりまであなた方が引き続き悟れるようであって欲しいと思う事柄なのです」(コリント第二:1章13節)と聖書において述べているのです。
一般的な認識における一つの側面として、「日本語大辞典」で「キリスト教」の項目を引いてみれば、まず「イエス・キリストを救世主とする宗教」と書いてあります。本来は「イエスをキリスト(=救世主、メシア)とする宗教」と言うべきでしょうが、それはともかく、次に「紀元30年頃成立」とあり、これは歴史的な説明です。次に「ユダヤ教と共通の旧約聖書と、加えて新約聖書を経典とする」と書いてあります。つまり、普通の国語辞典でもキリスト教というのは、「イエスがキリスト(=救い主)であり、私たちの救いのために必要で十分な方であると信じる宗教で、また、キリスト教の経典は聖書だけだ」と説明されているわけです。ところが、キリスト教系カルトはどれも「イエス・キリストの啓示だけではまだ不十分で、新しく啓示が自分たちの教祖に来た」と主張します。また、場合によっては「イエス・キリストだけで十分だとハッキリ言わない」ことを匂わせる言動にあります。
イエス・キリストのことを知ろうと思えば、それは聖書以外にないわけですから、イエス・キリストこそ救いのために必要で十分な方であると考えれば、聖書こそが「私たちの救いと信仰生活のために、必要で十分な書物になる」のは自然なことです。ところが、カルトは必ず聖書の他に「原理講論」とか、「モルモン経典」とか、ラッセル(ものみの塔)の言葉とかを、その「教団の規則で」聖書と同等とする傾向があります。キリストの上に自分たちの教祖を載せる、聖書の上に自分たちの教祖の言葉を載せる、というのがカルトに共通している点でしょう。しかし、本来は「聖書にある普遍的な霊的原則」と、組織を他の団体から分けている「組織特有の教理」を分けて考える必要があります。カルトの出版物の場合であっても、その多くは9割程度、霊的な普遍原則を扱っているので真理を語っている場合が多いようですから、それらの出版物全体を否定してしまうという事は、その意味に限っては必要ではないのかもしれません。しかし、多くの信者たちがいう「組織(宗派)は真理を提供してくれている」と言う時、その多くは「単なる普遍原則」でしかない場合が多いのです。問題は残りの1割前後にある「その組織(宗派)特有の真理(教理)」です。その「組織(宗派)特有の真理」とは、その「組織(宗派)特有の教理」を指すのですが、普遍原則と特有教理を混ぜ合わせにしたまま考えてしまっている信者が多いのです。そして、カルトであればそれを意図的に利用してマインドコントロールするのです。
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偽りのくちびるは主に忌み嫌われる。

RAPTさんのブログの有料記事からアクセスできる、朝のお祈り会の音声(有料です)が毎日配信されています。
その中で、毎日のように、私に対するあらぬ疑い、誹謗中傷が行われています。
RAPTさんのブログのコメント欄にコメントする時に、私のハンドルネームは「trulo」でしたが、その意味について、彼は、エスペラント語で、「こて」だと話していました。セメントを塗るこてなんだそうです。だから、私のことをフリーメーソンだと話していました。
私は、エスペラント語なんて全く知りませんし、大本教も全然関わりがありません。「trulo」というハンドルネームは、truth(真理)とlove(愛)からつけました。
私は良心に誓って嘘は全くついておりませんし、聖書における神様である天の父、そしてイエス・キリスト様は全てをご存知です。
私のことを工作員だとか、教会を乗っ取ろうとしているなどと話されていますが、それが全くの嘘であることも、聖書における本当の神様、そしてイエス・キリスト様もご存知です。
何の証拠もないのにあらぬ疑い、誹謗中傷をし、相手を大きな声で恫喝することにもとても疑問を感じました。
またRAPTさん自身は本名を明かさないのに、私だけではなく、一般的な個人の名前を出すことも、とても疑問に思います。
12月10日を最後に、私はRAPTさんから完全に離れましたが、その後も、毎日私に対するあらぬ疑い、誹謗中傷をし、さらにそれをネットで配信していることについて、非常に疑問に思い、こちらに、私の気持ちを書かせていただきました。
偽りのくちびるは主に忌み嫌われる。真実を行う者は主に喜ばれる。
箴言12:22

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師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただひとり、キリストだからです。

マタイによる福音書23: 7
広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。
23: 8
しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。
23: 9
あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。
23:10
また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただひとり、キリストだからです。
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御言葉に付け加えようとするな。責められて、偽る者と断罪されることのないように。

あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。
(申命記4・2)
あなたたちは、わたしが命じることをすべて忠実に守りなさい。これに何一つ加えたり、減らすことがあってはならない。
(申命記12・32)
御言葉に付け加えようとするな。責められて、偽る者と断罪されることのないように。
(箴言30・6)
この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。
(黙示録22・18)
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