「事なかれ主義」の悪

以前の育児関連の記事にも書きましたが、世の中、本当に、『寛容である』ことが良いこと、色々な価値観があり、何でもOK的な風潮が蔓延している、とつくづく思います。

 

うちの近所の子ども達、よく家の周辺で遊ぶようになったと以前の記事に書きました。近所の子ども達もよく遊んでいるのですが、その時、一軒だけ、親御さんが見守っていない子どもがいるのです。

親御さんはどこかに出かけていたり、家にいても出てこないことが多いです。

で、その子ども達が、しっかりしていて見守りが必要ではないかというと、年齢的にも、決してそんなことはありません。

正直、性格も乱暴、言葉遣いも乱暴。会った最初から、暴力的な声かけをしてきます。彼らが考え出す遊びも、危なかったり、物を壊しそうだったり、そのままにしてはおけないような内容です。

私は最初、様子がわからないので何も言いませんでしたが、会うたび同じなので、最近は注意するようになりました。

周囲のお母さんたちがそれまでどうしていたのか知りませんでしたが、少なくとも私が立ち会っている間は、その子ども達が何をしようと注意していませんでした。

自分の子どもとトラブルになってもずっと見守るだけ。明らかに理不尽でもです。

なので、注意したり止めたりしないのか聞いてみました。そうしたら、「あまりにひどかったら言うよ。でも、その前に子どもが言うからね」とのことでした。

私の印象ですが、なんというか、プレーパーク的。子どもの自主性に任せるという感じです。

うちは、上の子が自閉症で話せませんし、下の子も年齢が小さい。そして、とても子ども同士で話し合ってトラブルを解決できるほど会話が成り立っているとは思えないので、おかしなことがあれば、注意して別の遊びに向かってもらうなり、していました。

でも、その他のお母さんたちのように、注意したり叱ったりしなければ、「寛容な」人っぽくなるんだろうな…と思いました。

 

神様に出会う前の私だったら、「事なかれ主義」でしたから、あまり口出ししなかったでしょうし、それに、話すべきことが思いつきませんでした。

 

でも、子ども達には、やっぱり正しいことを教えていくべきだと思うのです。「自主性」も大事ですが、正しいこと、間違っていること、善悪の区別…基礎がないと、本当に『その場』のルール、『強い方が勝つ』『声が大きい方が勝つ』etc.etc.…になってしまいます。子ども達も道筋を見つけられない事でしょう。

乱暴な言葉遣い、相手を中傷する言葉遣いを注意されなければ、それが当たり前、それでも大丈夫と思ってしまうでしょうし…。

 

今世の中に蔓延している『寛容』というのは、「曖昧」とか「いい加減」とか、「突き詰めない」とか、「結論を出さない」という言い方の方が合っている気がします。

 

 

私も、今の今まで、そう、RAPTさんのブログに出会うまで、神様に出会うまで、聖書に出会うまで、何一つわかっていなかったと思います。本当に迷い子、人生の指針なんてありませんでした。

色々思うことはあるけれど、波風立てずにやっていく、うまくやる、そればっかりでした。

でも心はいつもモヤモヤし、誰のことも信頼出来ず…。

自分が思ったことを正直に言わずに、適当に相手に合わせているから、相手も嘘で合わせてくれているんじゃないかと思い、いつも安堵できませんでした。

 

でも、RAPTさんのブログに出会って、RAPTさんが、本当にまっすぐ、真摯に善良に生きてきたことを知って、本当に大感動しました。私も人生がまるで別物に変わりました。

今流行りの「寛容」ではなく、善悪の区別をはっきり分けることによって、本当に心がすっきりと、軽く、明るくなったのです。

以下の記事をぜひ読んでくださいね。↓

神様はこの世界を善と悪とに裂き、悪魔はこの世界を一つにしようとします。

 

本当に、悪魔は、「何でもOK」「色んな価値観がある」「それぞれの立場を認める」なんて、耳ざわりのいい言葉を使って、私たちの考えを混乱させます。そして、モヤモヤを抱えたまま毎日を送っていると、心がどんどん曇っていってしまいます。

 

こんなこともありました。

私の職場はチームワークが大切なのですが、先日、ある職員が、重大なミスを犯してしまいました。

そのことを見ていたのは私一人だけでした。

そして、そのミスは、私がフォローしたこともあって、事なきを得ました。

しかし、私が驚いたのは、その職員が、自分がしたミスを、他の職員に報告しなかったことです。

しかし、絶対に報告しなければならないことでした。

なので、私から他の職員に伝え、もし本人から自己申告がなければ、そのことについて尋ね、報告書を出してもらった方がいいと思う、と伝えて、私は仕事を終えました(私は短い時間しか働いていません)。

そして、その日は休みだった上司にも、念のためメールをしておきました。

次の日は、私は休みでした。

そして、当然、報告書なり何か記録があるだろうと出勤したところ、まるで何もなかったのです。

上司がいたので話を聞いたところ、どんな状況だったのかも本人に確認していませんでした。上司は、その職員が、その時にこうした、ああした、という言い訳的なことを聞いただけのようでした。記録も書くように指示していなかったのです。

でも、そのミスは、客観的に考えても、絶対に周知したほうがいいと思われるものでした。

納得のいかない私が、上司とあれこれ話した結果、やっとその職員に報告書を書いてもらうことになりました。(ところが、その報告書を見たところ、事実をねつ造したものでした。本当にその職員には呆れます。)

 

上司は、最後までその職員がミス前後にやったことを、良いように私に話してきましたが、私は、ここでも「事なかれ主義」「寛容」「曖昧」「突き詰めない」「適当にうまくやっていく」…が働いているんだな、と思いました。

要するに、この上司は、その職員に注意する勇気がなかったのです。

正しいことを正しいと言い、おかしなことをおかしいと言う、その勇気がなかったのです。

その上司が、若いということもあるかもしれません。その職員は年齢もかなり上で、相当、「強い」性格ですから。

 

改めて、「世の中の常識」と、聖書の世界との違いを感じました。

私も、あんなふうに「曖昧」で「いい加減」だったんだな、と思います。本当に「事なかれ主義」、苦しい道でした。

 

一人でも多くの人がRAPTさんのブログに出会い、善なる道へ、唯一の救いに導かれますように。

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